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2008年10月23-11月6日
13泊14日





1.「1杯のミルクティー」
2.「高山病」
3.「高山を歩く」
4.「いざ、カラ・パタールへ」
5.「帰路、そしてルクラで足止め」
6.「おまけ。トレッキングについて」


【ルート】
往路
ルクラ パクディン ナムチェ タンボチェ ティンボチェ ビブレ トゥクラ ロブチェ ゴラクシェプ カラパタール,B.C
復路
ゴラクシェプ ロブチェ トゥクラ ペリツェ タンボチェ ナムチェ パクディン ルクラ

行程 :13泊14日
難易度 :★★☆☆☆
お勧め度 :★★★★★
※・・・登山道は歩きやすい。レベル的には日本のアルプスの方が難しい。ただし、高度が高いので、それを考慮すればもう少し難易度は上がる。


鳳凰三山


その4「いざ、カラ・パタールへ」

高山ではどれだけ高地順応できるかが
ポイントとなる。
高地トレッキングと言うのは、やはり特殊なものだと思う。
標高3000m前後までなら、正直体力勝負で登る事ができる。最初の勢いで登りきってしまえる高度だと思う。自分がエミリアとほぼ並んで歩けたのもこのレベルまでだった。
ところが標高3000mを越えると体力というよりは、高度適応能力が重要になってくる。つまり、空気の薄い場所でどれだけ体が働くか、どれだけ酸素を取り込む事ができるか、だ。この能力が低い人間は例え20代の若者であっても、能力の高い老人に勝てない。高度順応して体が慣れて来れば多少差もなくなるが、それまででは顕著に差が出る。体が順応できていないと、酸素が体内に不足し体が動かない。

これはあくまで自分の経験からの話だが、実際高度適応能力が低かった自分はいつまで経っても老人や女性トレッカーなどに抜かれていた。最初の頃は自分が情けなかったが、途中からは何とも思わなくなった。自分のペースで歩く事が何よりも大切だ。


ロブチェの朝はやはり寒かった。
朝食は日本から持ってきたビスケット。食堂は通常07:00頃にならないと開かないので(特にここはやる気もなさそうだし。。)、早朝出発の場合は自分で用意しなければならない。まあ、それ程食欲も無いのでこれで十分だったが。
外に出ると一面真っ白になっていた。水気のあるものは全て凍っている。なるほど、これを見た瞬間、底冷えするのが理解できた。

これまで通りの重装備だが、また今日も日の当たらない場所からの出発になるのでめちゃくちゃ寒い。昨日のように風は無いが、やっぱり寒い。水を飲もうとしたら、ペットボトルの水が凍り始めていた。氷入りの水が飲めるとは何とも贅沢な事だが、できればもっと暖かい場所で飲みたかった。カバンに入れておいた温度計を見る。何と−7度。一瞬目を疑った。でも、どう見ても−7度。寒い訳だ。。


ロブチェの朝。一面真っ白。 気温は−7度



07:00を過ぎる頃には日が当たるようになってきた。道は比較的平坦である。岩が多いものも、美しいヌプツェ(7879m)を眺めならが、今日も見事に晴れてくれた青空を楽しむ。
ところが30分もすると登りが現れる。次の目的地であるゴラクシェプまでは地図上で標高差200m程あったので、ある程度の覚悟はしていたのだが。。今日もまたゆっくり登る。ゆっくりゆっくり自分のペースで。呼吸がぜいぜいと激しくなる。ここ数日、冷たく乾いた空気を激しく吸ったり吐いたりしているので、喉はもちろん肺も痛みを感じる。それでも吸わなきゃならない。でも、体が動くだけで今は十分だ。
ちなみにエミリアは今日も体調が悪いらしく、また遥か後ろを歩いている。

ゆっくりゆっくり登る事約20分、ようやく視界が開けた。正面にはプリモ(7165m)の美しい姿が現れる。


プリモ(7165m)



エミリアが来るのを待って出発。しばらく小刻みな登り下りが続く。途中から眼下に氷河の姿がはっきりと確認できるようになった。エベレスト等の雪解け水が流れ出てできたクーンブ氷河である。表面は砂や岩で覆われているが、所々崩れている部分からはっきりと氷だと分かる。エベレストがある方面からロブチェの方角へと続いている。見事なものだ。

その後も嫌がらせのように坂を下ったり登ったりさせられる。とにかく道が悪い。この辺りまで来ると岩ばかりで、果たしてこれが道と呼べるかどうか分からない程となる。トレッキングシューズを履いているからまだいいものも、なかったらと思うとぞっとする。

途中、突然大きな音が聞こえる。左手に見えていた山の方からだ。ゴゴゴゴゴー。顔を上げると雪崩が起きていた。あまりの音の大きさに周りのトレッカーも足を止めて眺める。ある程度距離があるのでそれほど大きく見えないが、ひとつの山の斜面全体の及んでいるので、間近ならものすごい迫力だったろう。それよりもあんなの食らったひとたまりもない。何よりこの体力の極限状態。押し寄せる雪に対抗する力はない。


雪崩。ものすごい音だった。。
ひたすらプリモを目指して歩く だんだん道らしい道がなくなる


出発して3時間、09:30過ぎにようやくゴラクシェプに着いた(5150m)。
ロブチェのことがあったので、エミリアを待たずに宿探しに走る。案の定、どこも満室。恐らくガイドやポーターを連れたトレッカーや、ツアー客に先に予約されてしまっているようだ。4軒目にしてようやく部屋が見つかった。

ゴラクシェプからカラ・パタールを目座ず
チェックインしたロッジでカラ・パタールについて尋ねる。ゴラクシェプの正面にそびえ立つ丘のような山、それがカラ・パタールだとはすぐに分かるのだが、往復でどれぐらいの時間が掛かるのか知りたかった。

「2時間」

遅い人で3時間との事だった。思った以上に時間が掛かる。悩んでいると、エミリアが疲労困憊の顔で食堂に入ってきた。彼女にその事を話すと、「私は食事をする」との事だった。まあ、仕方ないか。まだ体調が本調子でないようだし。一緒に座ろうとすると、

「あなたは先に行きなさいよ。何も待っている事はないわよ」

と言われた。時々殴ってやろうかと思うこともあったが、このあたりの考え方は白人らしくて好きだ。という訳でエミリアを残して一人カラ・パタールへ向かう。いざ、カラ・パタールへ!


ところが、これが何とも大変。勇んでいったのだが、カラ・パタールの登りに辿り着くまでに息が上がってしまった。平坦な道とはいえ、標高5150m。忘れていた。。
最初から急斜面だ。それも見上げても先が見えない程の。それでもここが最終目的地。山に入って8日目。ようやくゴールがそこまで来ているのだ。それに、何よりこれまで担いでいた重いバックパックがない。その分身軽で足も速い。まあ、速いといっても、「速いカメ」程度だが。


周りの景色は迫力満点
ヌプツェが真横にそびえる
ゆっくりゆっくりひたすら登る。
ここに来てこの登りは本当にきつい。



足の疲れはほとんどない。その証拠に足が痛くて止まった事は一度もない。が、息が上がる。10m進むだけで、まるで100mを全力で走ったかのようになってしまう。酸素が少ないので、何度も深い呼吸をしなければ息が整わない。分かってはいるのだが、標高5000mを越えてからのこの登りは辛い。周りの人達も自分のペースで、ゆっくりとゆっくりと歩みを進めている。

登り始めて気付いたのだが、下から見えていたカラ・パタールだと思っていたピークは、実は偽ピークだった。そのピークを過ぎて更に奥に見えるピーク、それが真のピーク、つまりカラ・パタールであった。


偽ピークを通過すると、ようやく本物のピーク(カラ・パタール:中央のふくらみ)が見えてきた


「と言うか、遠いじゃん・・」
そう気付くと更に疲れが増した。仕方がない。立ち止まっていても終わらない。自分が前に進むしかない。他の誰でもない、「自分が」だ。
1時間も過ぎると、岩が非常に多くなり、本当に歩き辛くなる。そして息は上がりっぱなし。


カラ・パタール山頂付近は岩場となる
だが、それ以上に素晴らしい、本当に素晴らしい景色がトレッカーを迎えてくれる。右手には巨大なヌプツェ(7879m)が本当に大きく立ちそびえ、その横にある世界最高峰のエベレスト(8848m)は歩く度に姿を大きくしてゆく。その隣にもローツェ(8516m)がそびえ、正面にはプリモ(7156m)が天を貫かんばかりにどっしり構えている。正直景色を楽しむ余裕はないのだが、本当にすごい場所を歩いている事は実感できる。

カラ・パタール山頂に近づくと、辺りは岩場のようになってくる。岩登りといった表現の方がいい。最後はもうカラ・パタールというゴールしか目に入らず、這うように登る事2時間半、ようやくカラ・パタールに到着(5545m)。登頂成功!最終目的地であり、このトレッキングで最も高い場所だ。ああ、でも最後のこの登りは本当に辛かった。


山頂はタルチョがひしめく
カラ・パタール。それは狭い岩場とたくさんのタルチョがひしめく本当に小さな頂。たくさんのトレッカーがその景色と、そして達成感を味わっている。味わってもいいだろう。ここまでの道のりは本当にしんどかった。

早速周りを眺める。やっぱり目に付くのは黒い頂のエベレスト。そしてその右隣に大きな雪壁を見せているヌプツェ。左にはローツェ。さらにずっと左にチェンツェ(7599m)があり、カラパタールの頂の先は高く長くそびえるプリモがある。
登ってきた方向には大きく長くクーンブ氷河が横たわり、その横に再び鋭さを取り戻したアマダブラムが美しく見え、さらにその先にはカンテガやタムセルクと言ったこれまで目を楽しませてくれた山々が見える。
これ以外にも無名の6000m級の雪山が周りを取り囲み、初めて360度雪山の風景に囲まれた。まさにここまで登ってきた者だけに許される風景だ。



中央の黒い頂がエベレスト、その右がヌプツェ



タルチョと雪壁をなす無名の山々



登ってきた方角を眺める。
中央にアマダブラム、さらにその右奥にカンテガやタムセルクが見える


カラパタールからの風景
※音が出るので注意してください


何枚か写真を撮り終えた後、ふとある事を思い出した。
この日の為にテレビから録音してきた「NHK世界遺産100」のテーマ音楽を聴かなければならない。少し離れた岩場に座り、早速イヤホンをつけスイッチを入れる。

涙が出た。

思わず涙が出てしまった。正直な話、半分冗談で持って行ったのだが、その音楽に思わず涙が出てしまった。
トレッキングを始めて8日目、思えば色んな事があったと思う。
初日のモンジェでは山の夜を侮り、寒さに震えて眠れなかったこと。そしてナムチェやタンボチェに至る激しい登り坂。ティンボチェでは高山病にかかり激しい頭痛や動悸、体の痺れに怯えたこと。また予定もしていなかった程の山の寒さ。良い事もあった。ナムチェからのショートトレッキングで訪れたエベレストビューホテル。ここでエベレストを眺めながら飲んだミルクティーは本当に幸せだった。エミリアをはじめ、色んな人にも出会った。

色んな思いが、今この目の前に大きくそびえるエベレストを見ることで報われたのだ。世界遺産の音楽がきっかけとなり、思わず涙が出てしまった。
本当にこのエベレストトレッキングと言うのは、ひとつの身を持って経験する物語であり、本当に本当に大変な行程なのだが訪れる価値のあるものである。




しばらくするとエミリアも登ってきたので、写真を撮ってもらい下山を始める。帰りは行きに見る余裕がなかった周りの景色をじっくり味わいながら下る。足場が悪いので下を向きながら歩くのだが、ふと時々歩みを止めて顔を上げる。すると、あまりにも大きな真っ白なヌプツェが目の前に広がる。何とも非現実的な光景に嬉しくなって思わず笑ってしまう。
15:30、ようやくロッジに戻る。昼食も食べずによくやるもんだと改めて思う。長かったが、非常に充実した一日が終わった。


エベレストB.C.を案内する看板
翌朝は07:30に起床。今日の目的はエベレストB.C.。特に興味はなかったがエミリアが行きたがっていたので、一緒に行く事にした。朝食を食べ、ゆっくりしていたら出発が08:30になってしまった。

それにしても高度順応は終わっているとはいえ、さすが標高5000m。少し歩くだけですぐに息が切れる。道は氷河沿いに続き、それなりの起伏もある。それでもカラ・パタールのような登り一辺倒ではない分まだ助かる。でも、進めば進むほどそれまで踏み固められていた道がどんどん酷くなる。やがて昨日のカラ・パタールのような悪路になってきた。

でも、天気は快晴。右手にやはり大きなヌプツェ。昨日よりもさらに大きくそびえる。左手にはプリモ。これまた青い空に映えて美しい。ゴラクシェプからでは見えないエベレストも少し顔を現す。

細く、岩だらけの道を進む事2時間、道が下に下り始めた。そして右手に大きく横たわっている氷河へとさらに進んでいるのが見える。人も小さくだけど、歩いているのが分かる。いよいよこの先、氷河の上を歩くことになる。


眼下にクーンブ氷河が横たわる
プリモも姿を変えて現れる
B.C.へ向けて岩場の道を進む


いよいよ氷河へ。ただ氷河と言っても砂や石や岩が大量にあり、時々むき出しになった氷がなければほとんど気付かない程だ。でも、砂や石は氷の上にある訳で、足を乗せた途端ずるりと滑ってしまう危険がある。また切り立った氷の上を歩くこともあり、踏み外したりすると大変なことになる。もちろん、舗装などされている訳もなく、道なき道をただ進む。
しばらく歩くと至る所に氷が見られるようになってきた。時々ギシギシと音が聞こえる。最初何か分からなかったのだが、それは氷河がゆっくり流れていて、擦れ合う音だとしばらくして気付いた。

それにしても長い。氷河のくせに登りや下りもあるし、もういい加減体力もつき始めている。一体何度目かの「もう、そろそろ・・・」を繰り返したのか分からなくなった時、ようやくエベレストB.C.が見えてきた。4時間も掛かってようやく到着(5364m)。本当に氷河の先の先であった。


B.C.では既にテントなどは片付けられており、その跡しか残っていない。でもここは、エベレストへ続く谷への一番正面だし、風もあまり吹いていない場所で、小川もある。なるほど、いい条件だ。キャンプ場になるのも頷ける。
エベレストの方角にひとつだけ塚のような物がある。タルチョがはためき、ここが本当に神聖な場所だと言うのがよく分かる。ここで多くの人(登山家など)がエベレストに挑み、そして泣き笑った場所。本当にその一端ではあるが、エベレスト登山の感じを体験できたのは非常に貴重なことだと思う。



大岩の下の氷が解けて危険な状態となっている。
氷と岩と砂の道を歩く B.C.に置かれた塚
奥にエベレストへと続く谷が見える


でも、残念な事にエベレストB.C.へのトレッカーの評判は悪い。3時間以上も歩いて辿り着いたのにほとんど見るものがない、とのようだ。実際、ここに来る時に出会ったトレッカー(昨晩同じ宿で食事の時に一緒だった白人)に「B.C.はどうだった?」と聞くと、

「Boring」

と一言答えて去って行った。すぐには意味が分からなかったが、エミリアがその事に対して不快感を示しているようだったので、何となく意味は分かった。[Boring]とは、退屈とかつまらない、の意味である。B.C.を楽しみにしていていたエミリアだからこのような話を聞きたくないと思うのは無理はない。
どちらにしろ、ここは観光地ではない事は周知のはずだし、自分的にはヌプツェをすごく間近に見られてそれだけで十分良かった。おまけに氷河の上も歩けたし。



30分ほど滞在してゴラクシェプに向けて出発する。既に13:00。3時間掛かって帰ったとしても16:00。あまりもたもたしていられない。
行きも長かったが帰りも長い。日の差し具合が行きと違うので山の表情も変わり、もちろんその都度山の写真を撮ったりしていたのでさらに遅れる。帰りは楽だと思っていたのだが、それは大間違い。昼も食べていないし、すぐ息は上がるし、進めど進めどゴールであるゴラクシェプの村が見えてこない。しかも14:00を過ぎると、だんだん太陽の力が衰えてくる。日に当たっていてもあまり暖かくないのだ。日が暮れたら大変だ。少し早めに足を進める。まあ、早めといってもやはりのろのろで、老人女子供すべてに抜かれて行くのだが。


歩く度に表情を帰る山々
(写真はヌプツェ)


16:00を過ぎる。日が山に落ちてしまった。途端に空気が風が冷たくなる。上着のボタンを首まで上げ、手袋は薄くてあまり役に立たなくなってしまっているのでポケットに突っ込む。
やがて、ようやくゴラクシェプの村が見えてきた。何でこんなに遅くなってしまったのだろうかと自分に問いつつ、16:30何とか到着。往復8時間も掛かってしまった。。


宿の食堂で暖かいミルクティーを飲みながら、あることに気付いた。

エミリアがいない。

帰りも途中まで一緒だったが、途中から自分より遥か後ろを歩いていた。その後、自分とは違う道で宿に向かっていたような気がするが、大丈夫だろうか。既に時刻は17:00を過ぎている。外はもう薄暗い。さっき歩いていた16:00過ぎで、気温は1度ぐらいまで下がっていたので今はもっと低くなっているはず。何をやっているのだろうか。
たくさんのトレッカーが食堂に戻ってくる。皆、分厚いダウンのジャケットを羽織り、頭まですっぽりとフードを被っている。まさに冬山の装備だ。それに比べ自分やエミリアの格好と言えば、まさにハイキングレベルの装備。だんだん不安になってきた。

夜のヌプツェ
美しいヒマラヤの風景は同時に人にとって脅威となる
後にインドで読んだ登山家・野口健氏の本「落ちこぼれてエベレスト」の中に、「標高8000mは死の香りがする」という様な表現があった。それは先日ティンボチェで高山病や凍傷になりかけた経験から、ここ数日まさに同じ気持ちを感じていた。
「ここは自分の住む平地とは違う。自分達の当たり前がここでは死につながる」
例えば防寒具が不十分なら、たった数時間夜外に居ただけで死ぬことすらある。周りを見回しても、植物でさえまともに生きられない荒涼とした世界。ここは非日常な場所なのである。

暖かい食堂の窓の外は、もう暗くてよく見えない。エミリアは大丈夫だろうか。気温は氷点下まで下がっているのは間違いない。全く見知らぬ人間同士とは言え、やはりパートナー。もちろん見捨てる訳にはいかないが、ここで一人で探しに行っても共倒れになるだけだ。宿の人に言って助けてもらうか。でも、ただの宿泊客を危険な目までして助けてくれるだろうか。この時間の食堂は大忙しだし。

本気で心配になってきた17:30過ぎ、エミリアが真っ青な顔して食堂に戻ってきた。

「道に迷った。。」

との事だった。昼も食べていないし、まともな上着も持っていない。一歩間違えれば死ぬところだったはず。でも、とりあえず無事に帰ってきたので良かった。寒そうだったので暖かい飲み物でも頼もうか、と聞くと、

「スプライト、買ってきて」

だった。耳を疑う自分にさらに「早く買ってきて。喉が渇いた」という。全く本当に訳が分からん。
その後も、「危なかった」を連発はしているものの、道に迷った末に崖に辿り着き、そこをよじ登ろうとして何度も落ちたと笑っていた。自分が「下手すれば死ぬところだったんじゃないの?」、と言っても、

「大丈夫。あなたパートナーでしょ?いざとなれば助けを呼んでくれるはずだよね」

などと言う。まったくこの女と言うのはどういう造りをしているのだろうかと、本気で思った。




その後、暖かい食堂でゆっくり食事をする。
ところでエミリアもまだ飲んでいるのだが、この標高5000mを越える高地で白人と言うのは平気で高額なビールや炭酸飲料を注文する。本当に金の使い方が日本人とは異なる。350mlの炭酸ペットボトルで350ルピー(約455円)。ビールはもっと高い。全てヤクや人力で運ばれているのだから高いのは仕方ないが、それを平気でじゃんじゃん飲む白人連中には本当に驚いてしまう。
トレッキングをしている以上、ある程度は現地にお金を落とさなければならない。それは分かる。でも、必需品は仕方ないとして、このような贅沢品に大金を使うのには正直自分はできないと思った。
でも、美味そうだ。。
エミリアもスプライトをしゅわしゅわ言わせながら飲んでいる。暖かい食堂では喉も渇く。ミルクティーでも十分美味しいのだが、時々何故か無性に炭酸飲料が飲みたくなる。我慢すればするほどその思いは強くなる。
ああ、何だかしゅわしゅわしたくなってきた。。でも、カトマンズに帰るまでの辛抱。カトマンズに帰れば日本食の定食が200ルピー程度で食べられる。コーラならば20ルピーも払えば十分(200mlね)。我慢だ、我慢、我慢。

そんな訳でこの頃の日課と言えば、食堂でひたすらガイドブックに載っている美味しそうな日本食の写真を眺め、カトマンズに帰ったら炭酸飲料でしゅわしゅわする事ばかりを思い描いていた。


ゴラクシェプ最後の夜が更ける。ちなみに今日で6日間シャワーを浴びていない。寒いのでとても浴びる気にもなれないのだが、さすがに髪がベトベトし、手は汚れ、爪は真っ黒。他のトレッカーもシャワーなど浴びている人は誰もいないのだが、そろそろ暖かいシャワーが恋しくなってきた。やはり日本人だ。


世界最高峰のエベレスト(8848m)を望む




その5「帰路、そしてルクラで足止め」

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